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勘亭流の歴史
歌舞伎とともに発展してきた書体です。
安永八(1778)年、当時公文書に使われていたお家流(青蓮院流)の書家、岡崎屋勘六が
中村座(江戸三座のうちの一つ)、九代目中村勘三郎の依頼をうけて鳥居清長の絵看板に
「御贔屓年々曾我」の大名題を揮毫したのがはじまりです。
その文字は絵看板とともに評判を呼び、興行自体も大入り、大成功をおさめたので他の二座もこれに倣って
この書体の看板を使い始めました。その後関西にも伝わり、全国的に使われるようになります。
勘六の号が勘亭だったことから「勘亭流」の名で呼ばれるようになります。
勘亭流の特徴
大入り、興行の無事を祈り下記の点に注意して書きます。
①線は太く、隙間がないように枠いっぱいに書く(大入りになるように)
②ハネは内に入れる(お客様が入るように)
③かどは丸く書く(興行が無事円満に終わるように)
伏木壽亭氏
江戸時代から明治期まで(各氏敬称略)高麗屋金三郎・沢村利兵衛・武田交来・梅素亭玄魚・
河竹黙阿弥・三礼堂清忠・石井三礼等勘亭流書家が輩出されました。
その後石井三礼氏の流れを汲む保坂光亭氏が大正末期より平成に渉り活躍しました。
光亭氏の継承者の一人である伏木壽亭氏が歌舞伎座・御園座・博多座等の筋書きを
担当し、多方面にわたり活躍されていましたが2014年1月30日に永眠されました。
川崎市場教室は伏木壽亭氏の志を継ぐ秋庭宝壽と桂田久壽が指導を引き継いでおります。
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